●スラバヤだより:語学研修参加者のノート
- NN
- 4月9日
- 読了時間: 14分
更新日:4月10日
2月10から2月28日まで国立アイルランガ大学(東ジャワ州スラバヤ)で行われた語学・文化研修に参加した学生の記録ノートを掲載します。
水谷 夏希
今回の語学研修プログラムを用意してくださった加藤先生、アイルランガ大学人文学部、総合政策学部の事務室の方に感謝を申し上げたい。約3週間の中で得た学びや気づき、体験を書き留めた。
ジャカルタからスラバヤへのフライトは翌朝だったため、この日はスカルノハッタ空港内にあるカプセルホテルで一泊した。これまで日本でもカプセルホテルは利用したことがなかったが、シャワーやテレビの設備もあり、快適だった。スラバヤの空港に着くと、アイルランガ大学の学生が迎えに来てくださった。
車内で街並みを見ていると、ジャカルタとは異なり高層ビルはなく、同じジャワ島の中でも街並みに違いがあると気づいた。小学校の近くを通った際に、学校帰りの子供たちがおやつを売っているワゴンのおじいさんのところに集まっていた。この風景をみて心がほっこりした。日本でいう駄菓子屋さんのような存在なのだろうか?しかし、日本では駄菓子屋の数は減少していく一方で子供たちにとって、人との交流の場が失われているように感じる。
バティックのろうけつ染め体験もすることができた。鉛筆でデザインした線にそって、ロウソクを熱で溶かしてできた液に筆のようなものをつけなぞる。力加減や液をつける量が難しく、とても繊細な技術が必要だと感じた。私は青色で染めてもらったが、白色とのグラーデションで染めてもらった人もいて、乾き完成するまでの時間が待ち遠しかった。
この日の夕食はGojekでHokabenを頼んだ。Gojekのアプリ上には調理中の動きやバイクで配送中であることがわかるようにキャラクターに動作が反映されており待っている時間が楽しかった。

2月13日
インドネシア語の授業の他に、アイルランガ大学の学生が受ける日本語の授業を見学した。先生が話した内容に対して一人ひとりが声を出してリアクションしており、日本に比べて賑やかな雰囲気の中で授業が行われている印象を持った。学食も利用したが、インドネシアでは食べた食器をそのままにして去る文化があることに驚いた。この日初めてインドネシアでスコールを体験した。日本で大雨という量の雨が降り出したが、これは現地の人によると「雨季は日常だよ」と話しており、折りたたみ傘は必須だと感じた。
2月14日
伝統的な楽器であるガムランの演奏体験をする授業があった。ガムランを教えてくれたのは学生で英語を用いて説明してくれた。伝えたいことをスムーズに英語で話していて、私はここまで英語を使いこなすことはできないと感じた。英語を聞き取ることはできても自分の伝えたいことをとっさに英語にすることに苦手意識があるため、話す練習に力を入れたいと感じた。ガムランは大きさによって音の音色が変わり、全員で演奏すると和音になって綺麗な音色だった。放課後には現地の学生と一緒に映画館に行き『進撃の巨人』を観た。日本の映画館とは異なり、飲み物や食べ物が一度回収され驚いた。字幕がインドネシア語で知っている単語が多く、勉強になった。映画や音楽から言語を勉強することも楽しいと改めて感じた。
2月15日
シティーツアーとして現地の学生がスラバヤ動物園を案内してくれた。コモドドラゴンやトラ、サル、鳥など多くの動物がいた。私はアルバイト先のカフェで「コモドドラゴン」という名称のインドネシア産のコーヒーを販売しているため、実物のコモドドラゴンを見ることができ嬉しかった。想像していたよりも大きく、驚いた。

2月16日
スラバヤに来て初めての日曜日は宿泊先のホテルからGojekで移動した先で行われていたカーフリーデーに行った。去年の夏合宿で行ったジャカルタのカーフリーデーとは異なりお祭りのような雰囲気だった。走っている人やサイクリングをする人よりも歩いている人や座って休憩している人、歩きながらサッカーをする少年や子供たちが多くいた。蛇やイグアナが道路の上にいて、触れ合えるようになっていた。私は初めて、蛇に触ったが、思っていたよりもプルっとしていて日本では体験できない特別な時間だった。
また、サルが自転車に乗ったり、ギターを弾くしぐさをするショーが数か所で行われていた。天気も良く、一緒にいったメンバーの一人が持ってきてくれていたシャボン玉をした。シャボン玉は幼い頃にしていたが、成長するにつれてやらなくなっていた。今回シャボン玉をしたことで、青空の下シャボン玉が陽に反射して虹色に見えたり、忘れていた純粋な子供心を取り戻すことができたような気がした。
夕食は大学近くの屋台でBebek Goreng(アヒルの唐揚げ)や白米、鶏の皮を買って、大学キャンパス内の芝生の上で現地の学生たちと一緒に輪になり食べた。その際カトラリーを持っていなかったこともあり、手で食べることになった。去年夏合宿で訪れたメダンで、カトラリーを使わず手で食べる体験をした時はカルチャーショックを受け、戸惑ったが、今回は文化の違いを受け入れられたのか、自然と手で食べることができた。日本の生活では、大学のキャンパスで夜に友人と集まって、ピクニックやゆっくりとお話をすることがない。インドネシアの学生は学業に専念するためにアルバイトをしている人が少ないようだ。私たちの他にも集団で輪になって話をしている現地の学生たちもいた。その一方で日本の学生はアルバイトをして、時間に追われ、友人と共に時をゆっくり過ごすことが少ないと感じた。今回スラバヤに行くまで、毎日アルバイトやサークル活動で忙しくしていたが、この日芝生の上で寝そべり、夜空を見上げながら友人と話し、ゆったりと時間を過ごしたことで、このような時間も必要だと気づかされた。




2月17日
この日はアイルランガ大学の学生の日本語の授業を見学した。題材はしゃぶしゃぶについてだった。日本では、しゃぶしゃぶはゴマだれやポン酢に付けて食べることが多い。しかし、ポン酢の味についてインドネシア人に説明するのは難しいと感じた。インドネシア料理は辛く、甘く、濃い味付けが多く、「あっさり」という言葉で表現できるような味付けはあまりないと思ったからだ。ある現地の学生は春ごろからインターンシップで北海道のホテルに勤務すると話してくれた。「北海道で何をしたい?」と聞いてみると、「雪を見たい。いくらを食べたい」と答えてくれた。いくらの味について質問を受けたが、味や触感について説明するとき、擬音語を多く使ってしまった。すると、「日本は擬音語の種類が豊富だね」と彼は感想をくれた。日本は雨や音、香り、色についての表現が豊富で五感が鋭いからなのか、四季があるからなのかと様々な考えが浮かんだ。
放課後にはTunjungan Plaza Surabayaに行った。1から6エリアまであり、高級ブランドからユニクロ、MINISOなどキャラクターグッズが多く揃うお店まで幅広くあった。また、ここにはゲームセンターもあった。日本には10年ほど前に生産が終了し、ゲームセンターには置かれていないゲーム機が置かれるなど過去にタイムスリップしたような気分も味わえた。
2月18日
インドネシア語の授業の先生の提案で昼休みに構内をゴルフ場にあるようなバギーに乗って回った。日本の大学でバギーに乗れることはあるのだろうか?初めてバギーに乗ったが、風が気持ちよく、楽しかった。
この日もアイルランガ大学の学生の日本語の授業を見学した。題材は「もしも魔法のランプがつかえたら?」
学生たちの日本語での回答からは「争いをなくしたい」「お金持ちになって人々を助けたい」と人のためにと考える人が多い印象を受けた。こういったところにもインドネシアの「Gotong Royong(相互扶助)」の精神が隠れているのではないかと感じた。教室を見渡してみると、ムスリムがつけるヒジャブにピンク色のリボンをつけている学生もおり、ヒジャブをつけていてもおしゃれを楽しむ姿が見られた。
放課後にはキャンパス内にあるコートで現地の学生と一緒にサッカーやバスケットボールをした。放課後に友人と笑いながら、体を動かすこともこれまでなかったので、今後もこうして笑いながら過ごしたい、この時間がもっと続いて欲しいと感じた。体を動かした後はキャンパス近くのカフェに行き、そこでカードゲームのUNOで遊んだ。インドネシアと日本で少しルールは違ったが、それでも楽しむことができた。
夕食は屋台でIkan lele(ナマズ)を食べた。初めてナマズを食べたが白身魚のようで美味しかった。スラバヤに来て日本ではめったに食べないナマズや、ライチジュース、アボカドジュース、そしてPisang goreng(バナナを揚げたおやつ)のような飲み物や食べものを体験することができた。これまで屋台は衛生面に関して危険だと思い、避けてきたが、今回食べたものは美味しく、体調も崩すことがなかったので、場所を選ぶ必要はあると思うが、屋台の印象を自分自身の中で変えることができた。

2月19日
この日は教室での授業ではなく、バスで移動し、マジャパヒト王国の資料館に行った。その資料館は日本がインドネシアで占領した際には一度閉鎖されたが、インドネシアが独立したことで今は政府が運営していると学んだ。Panjiという人物が主人公の物語が東南アジア各地で有名であると学んだ。ワヤンなどを通して、物語は広がり、東南アジアで文化交流が行われていた証だと考えた。アイルランガ大学の名前も「Kisah Panji」が書かれた時代の王様の名前をとっていると知り、インドネシアでは歴史上の重要人物の名前を大学名や病院名にする場合が多いと感じた。
その後は4か所ほど寺院を回った。中部ジャワの寺院は石で作られるが、東ジャワの寺院はレンガで作られるなど地域ごとの違いも学ぶ事ができた。


2月20日
ある現地の学生が、中央大学からこのプログラムに参加したメンバー一人ひとりにクッキーを焼いてきてくれた。まだ、出会って1週間程だが、お話したり遊びにいったりそのような仲を築けていることに幸せを感じた。アイルランガ大学の先生も私たちがPisang Gorengが好きだと知って、作ってきてくれた。インドネシア人の優しさに心が温まった。
2月22日
現地の学生と一緒にカラオケに行った。日本のカラオケと似ていたが、日本にはない機能もあり楽しかった。現地の学生は日本語の曲も歌い、歌や漫画で新しい日本語を勉強していると教えてくれた。関わった現地の学生の多くは日本語がとても流暢で、日常の中に日本語を聞く、見る、使う習慣があるのだと感じた。カラオケには「Indonesia Pusaka」があったので、加藤ゼミ生と現地の学生で歌った。国を越えて同じ曲が歌えることは嬉しいと感じた。
2月23日
スラバヤに来て2回目の日曜日もカーフリーデーに行った。今回参加したメンバーがカーフリーデーでライブをする予定を立てていたため、応援に行った。彼らが歌っていると日本人の何人かが声をかけてくれた。これまでスラバヤであまり日本人と遭遇することがなかったが、日本語の先生をしている人などがいた。自分は将来どんな職種に就くかまだ決まっていないが、海外で日本語を教えるなどの仕事もあると視野を広げることができた。
カーフリーデーの後はカトリック教徒で合唱団に所属している学生の誘いで教会に行った。そこは、アイルランガ大学のカトリック教徒の教会だが、地域の人も入ることができるようだ。自分の情報をスマートフォンで入力してから入る仕組みになっており、誰が来たのかを把握できるようになっているのだと分かった。私は日本で教会に行ったことがなく、ミサも初めての体験だった。合唱団はバティックを着ており、どの宗教であっても公式なイベントにはバティックを着ると分かり、バティックの重要性を学んだ。合唱団の歌声はとても綺麗で心が浄化されたようだった。歌声を聞きながら、「今回スラバヤに来なければ一生教会に行くことはなかったかもしれない。特別な体験している。スラバヤでの生活はあと5日だ。」と思うと胸がいっぱいになり自然と涙が溢れだした。ミサが行われている間、現地の学生に今は何をしているのかを聞くことができ、世界には知らないことが沢山あると感じた。今回教会に行ったことで、現地の学生に異なる宗教間での結婚について質問した。答えづらい内容だと思ったが、質問に答えてくれた。「異なる宗教間であっても結婚している人はいる。もともとムスリムだったけど、カトリック教徒になることを選んだ。」などインターネットでは知ることができない事を知ることができた。朝早くから活動することで、一日が普段より長く感じ、有意義な時間を過ごしていると感じた。日本では夜までアルバイトをして、朝早く起きられないことが多かったが、今後は朝の新鮮な空気の中で散歩するなど有意義な時間の使い方をしたい。
2月24日
この日の授業はジャワ語について学んだ。インドネシア語の他にジャワ語での数字の数え方があったりとインドネシア人はいくつもの言葉を学び、使っているのだと改めて感じた。放課後はインドネシアの伝統衣装であるバティックを買いに出かけた。夕方には大雨になってしまいGojekのドライバーの数も減ってしまうため、手配が難しかった。
2月25日
この日の授業はRとLの発音を練習した。巻き舌ができない私にとっては難しかった。
インドネシア語にはRとLの違いだけで似ている単語もあるため、使い分けができるようにならなければ、違った意味で相手に伝わってしまう可能性もある。発音の練習は引き続き続けたい。
放課後は久しぶりに雨が降っていなかったため念願の川でボートに乗った。その待ち時間には「ドーンじゃんけんポン」など小学生の頃に遊んでいた遊びを現地の学生と一緒に楽しんだ。インドネシアにいるとなぜかスマートフォンを見るよりも、人と話したり、一緒に何かをしたりと人との繋がりを大切にしたいと感じた。インドネシアという場所や人がそうさせてくれるのかもしれない。ボートに乗るとビルがライトアップされ綺麗だった。

2月26日
最後の授業でお別れの言葉を学んだ。その後makam (お墓)を見学しに行った。その移動中の車内の中で「当たり前」や「仕方ない」など日常生活の中で使える言葉を先生から学んだ。実際にスラバヤに来て、生活することでインドネシア語の教科書だけでは学ぶことができない単語にも出会い、この単語を忘れずに使えるようになりたいと思った。昨年日本で話題になった「可愛いだけじゃだめですか?」という楽曲のフレーズをインドネシア語ではどう表現するのかを現地の学生や先生が教えてくださり、言えるようになった。日本語のフレーズを異なる言語で言えるようになることの楽しさや嬉しさを感じた。
お墓を見学していると様々なお墓の形があり、それは宗教による違いであると分かった。2名の日本人のお墓もあり、手を合わせた。彼らはインドネシアで何をしていたのだろうか、どんな生活を送っていたのだろうかと考えた。
2月27日
この日は一人ずつインドネシア語での最終発表だった。発表は緊張したが、「カーフリーデー」についてジャカルタとスラバヤ、そして日本比較して伝えることができた。前日には発表のために、現地の学生が原稿の添削をしてくれたり、発音を確認してくれたりと準備を手伝ってくれたことに感謝したい。
放課後は現地の学生が送別会を開いてくれた。最後にインドネシア料理を食べようと屋台でナシゴレンを買い、キャンパス内の芝生の上で集まった。夕食を現地の学生と一緒に食べられるのは最後の日ということは分かっているが、日本に明日帰るという実感がなく、明日以降もいつものようにみんなと大学に行き、授業を受けているような気がした。3週間が一瞬で、昨日スラバヤに来たかのような、濃い日々を過ごすことができたと振り返った。ある学生が中央大学生一人ずつに名前入りのブレスレットを渡してくれた。その学生は中央大学生全員と深く関わっていたわけではなかったが、みんな友達、区別はしないと素敵な心をもっていた。
2月28日
終了セレモニーやガムラン演奏をした。アイルランガ大学の先生方がお話の中で「ここは皆さんの2番目のふるさとです。またいつでも帰ってきてください。」と仰ってくださり、「また来たい」、「またみんなと会いたい」と強く思った。わずか3週間のプログラムだったが、同じ年代の学生と日本語やインドネシア語、英語を通してコミュニケーションをとり、文化の違いや物事に対してどう対処するのかなど深い話もすることができた。違いもあるけれど、共通して同じことを思う時もあり、国や宗教、文化で区切らず、同じ人として関わることは大切なことだと改めて感じた。空港まで見送りに来てくれた学生も多く、別れは寂しかった。お手紙を渡したり、最後に写真を撮ったり別れの時間をかみしめた。しかし、将来の話をした時、日本で働きたいと言ってくれる学生も多く、「またどこかで会えるだろう」という希望を胸に出国ゲートを通った。いつか日本に彼らが来た時には日本を案内したい。そんな新たな夢もできた。
あとがき
今回の語学研修は、密度が濃く、3週間以上の経験をしたようで、一瞬で過ぎ去ってしまった。優しく、友人想いで素敵な心をもつインドネシア人の友達が何人もできた。帰国後も電話で話したり、誕生日を祝ったりと連絡を取り続けている。この3週間で出会ったアイルランガ大学の学生、先生方、ガムランを教えてくださった学生、宿泊先のホテルスタッフ、そして一緒に中央大学から参加したメンバー、関わってくれたすべての方に感謝したい。この経験は自分の中で貴重な財産にもなり、これからも忘れず心に留めておきたい。いつか辛いことや悩むことがあったら、この経験を思い出し、立ち直れるような心の支えとなる思い出になるだろう。今後もインドネシア語の学習を継続し、インドネシア語のスキルをさらに向上させたい。そして、インターネットでは知ることができない、実際に生活して気づいた学びは今後の研究活動に活かしていきたい。
★2025年度は加藤教授が特別研究期間のため、ゼミ活動はありません。
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